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2005/02/14

ちょっといい話

遠縁の親類(母方の祖父の義弟。大叔父ですね)が急に亡くなったので、今日は夜勤明けで新幹線に飛び乗って福島県へ。さっき帰宅しました。

この大叔父は俺の知る限りの親戚縁者で唯一人の軍隊経験者。満洲に出征していて、敗戦後はシベリア抑留も経験したと聞きました。当時は慰問袋というものがあり、内地から前線の兵隊に手紙や食べ物などを送っていたのですが、身内向けでない慰問袋はどの部隊に届くか分からないものだったようです。しかしなんと、大叔父のところに2回届いた慰問袋には2回とも同じ女の子からの手紙が入っていました。すごい確率ですよね。そしてシベリアから引き揚げて何年も経ってから、成長した手紙の主の女性を探し出し対面できたそうです。この話を聞いたときはちょっと泣けた。

昨年春の祖父の葬儀でお会いしたのが最後でした。もっと色々な話を聞きたかった。どうか安らかに。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

 あなたと同じ大叔父様の話で涙無しでは見られない投稿があったのでここに転載します。

日 : 大叔父の話。
私の大叔父は、朝鮮で育ったそうです。

大叔父のお父さんが、朝鮮併合の時に日本から、仕事で赴任した為です。

ある村に住み、村の人とも仲良くしていたそうです。

大叔父のお父さんは、元々医師だったのですが、自分のお兄さんが
亡くなった為、実家の家業を継ぐことになったそうです。
大叔父一家が住んだ村は、医師が居なかったので、大叔父のお父さんは
自分の仕事とは別に近隣の村人が診て欲しいと言えば、お金をとらずに
快く治療を行ったそうです。

その為、「先生は正しい両班のようだ」と言われていたそうです。
またお母さんは、静かな控えめな人であったけれど、いつも笑顔を
絶やさない人で、大変皆に好かれていたそうです。

その村の ある少年は、大叔父のお父さんの 診療を行う姿を見て
医師になりたいと決心したそうです。
その少年は、大叔父より2歳年上だったので、大叔父は「オッパ」と
呼んで、とても仲良くしていたそうです。

そして「オッパ」19歳・大叔父17歳の時に、日本に勉強に行かせたそうです。

「オッパ」の家は貧しかったので、大叔父のお父さんは
「息子だけでは心配なので、一緒に行ってやってくれ。立派なお医者さんになって
村に戻ってきなさい」と「オッパ」の進学費用を出したとのことです。

彼らが、日本に渡ったのは、終戦5年前でした。
厳しくなる戦況の中、2人は懸命に勉強しましたが、結局終戦の1年前からは
疎開したそうです。
(大叔父は、日本に帰って、結核にかかっていたので、徴兵されなかったのです)

そして終戦を迎え、また勉強が出来ると二人は、喜んだそうです。

二人は、一度朝鮮に戻って家族と会おうと、連絡を取ろうとしました。
しかし、大叔父の家族には連絡が取れません。
「オッパ」の家族に連絡を取っても、知らないわからないと言うばかりでした。

「オッパ」は一度、自分だけで戻って確認してくる。
大叔父には、危険なことがあるかもしれないので、日本で待っているように言って
村に戻ったそうです。

けれど、家族の無事を祈る大叔父の元に届いたのは「オッパ」が自殺したという
知らせでした。
 
大叔父は、何が起こったのかもわからなかったそうです。

半年くらいたった頃に、大叔父に手紙を持ってきた人がいたそうです。

それは「オッパ」からの手紙でした。

「私の大切な弟へ
私が、村に帰って真っ先に先生の家に行きました。
家は、焼け焦げて形もなかった。
何があったのが、皆に尋ねても、誰も目を合わそうとせず、何も教えてくれなかった。
ただ、先生はもういない。というだけで。
どうしても納得のいかなかった自分は、村の人を脅して、真相を聞きだしました。

"あの日、隣村の村人がやってきた。日本は敗戦国だ。日本人の財産を奪え"と
そして、先生を殺し、奥さんを・・・。
先生に、病気を治してもらったことのある人も混じっていたと。

そして村人は、助けることも出来なかったと。すまない。」

大叔父は、言います。

これが戦争だよ。父母が、死んでいるかもしれないと覚悟は、していた。
だけどね、せめて「オッパ」だけでも生きてて欲しかった。と。

生涯、独身を通し、去年亡くなった大叔父の話です。
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=1047266&work=list&st=&sw=&cp=2

投稿: ハングル板住人 | 2005/02/16 13:24

NAVERからの転載ですね。ありがとうございます。俺は2ちゃんねるハングル板はちょくちょく覗くけど、NAVERまでは手が回りません。

『親日派のための弁明2』の「和夫一家殺害事件」に似てますね。こういう悲劇が多々あったのかと思うとやり切れなくなります。

うちの大叔父は幸いにもシベリアから帰還でき、家族にも恵まれました。俺らがこうしてのほほんとしていられるのも、戦争を戦い抜き戦後を支えた名も無き人たちのおかげなんだなと思います。

投稿: るもんど | 2005/02/16 17:55

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